2017年 視覚障害学生奨学金 兼子莉李那

1. 自己紹介をお願いします。

2019 年春、上智大学国際教養学部(専攻:政治・史学)を卒業しました。2017 年SVI-SJ 奨学生です。大学では障がい学生支援制度が十分ではなく、卒業に8 年かかりました。トーストマスターズ(コミュニケーション能力とリーダーシップの養成を目的とした世界的なNPO)の会員で、クラシックバレエを20 年以上習っています(英国のダンサー国家資格Royal Academy of DANCE のVocational Graded Examinations 合格)。

日本生まれ、横浜と東京都練馬区で育ち、海外で暮らした経験はありません。生後まもなく視覚障害と診断され、左耳の聴力がありません。両親は私が将来職業を選択できる人になれるようにと、ピアノ、クラシックバレエ、英語、バイオリンなど、興味のあることに挑戦する機会を沢山与えてくれました。そのような背景から大学在学中は、上智大学管弦楽部、日米学生会議
(JASC)の日本代表(2013 年)および日本実行委員(2014 年)、トーストマスターズ(2012 年~)、GAFA でのインターンシップなどを経験しました。

4 歳からバレエを、7 歳から英語を習い始めました。最初の英語の先生は同級生のお母様でした。日本語の漢字より英語の方が私には簡単そうに思えたので、12 歳の時に上智大学比較文化学部(現国際教養学部)に進学することを決心しました。2010 年入試直前に目の状態が悪化して手術を勧められましたが、回復の見込みもなく受験を諦めきれず、手術は受けませんでした。

国際教養学部(FLA)では、アメリカ式のカリキュラムのもと、全て英語で学びます。難しいこともありましたが、海外の専門家の文献を読むことで、他国の視点から日本の政治や歴史を学ぶ良い機会になりました。また日本語を母国語としない海外の学生と一緒に学ぶことで、英語と日本語の両方を理解できることが強みになると実感しました。欧米の政治を学んだことで、日本の歴史や政治にますます興味を持つようになりました。

FLA ではいわゆる卒業論文はなく、代わりに各授業で最終エッセイを提出します。私は、日本史の授業で「太平洋戦争中の日本における人種差別について」、政治学の授業で「象徴天皇としての昭和天皇と今上天皇(現:上皇陛下)について」、共産主義の授業で「朝鮮民主主義人民共和国の憲法について」と、3本の最終エッセイを書きました。

大学卒業後、外資系金融会社に7 カ月ほど勤めました。障がいを抱える社員への待遇に疑問を抱き、退職を決意しました。その後コロナが流行する直前の2020 年2 月から、スマートフォンやタブレット、パソコンなどの電子機器を製造する別の外資系企業で働いています。

2. CWAJ との関係は。

横浜国際高等学校3 年生だった2010 年に、第5 回東京大学杯争奪英語弁論大会(現・東京大学E.S.S.杯争奪英語弁論大会)に参加し、CWAJ を知りました。審査員の一人がCWAJ をご紹介下さり、留学を勧めて下さいました。7 年後にCWAJ が視覚障害のある学生を対象とした奨学金制度を設けていることを知り、応募することにしました。

奨学生に選ばれてからは、CWAJ は奨学生である私の勉強をいつも純粋にサポートして下さいました。奨学生であることを誇りに思い、感謝していました。勉強の励みになりましたし、毎学期、学んだことをCWAJ にご報告するのも楽しかったです。

社会人になってから障がい者にとって厳しい社会の現実に直面しました。障がい者と健常者の間に今なお存在する不平等に直面した時、なにか行動を起こすのではなく、その時その場にとどまるために我慢することも頭を過りました。でもそれまでの自分を振り返った時、2017 年のCWAJ 奨学生選考の面接で話した自分の言葉が私の背中を押してくれました。私は奨学金応募の理由として、「適切なツールやサポート、理解があれば、障がい者も健常者と同じように働くことができる。私はそのことを証明するロールモデルになりたい」と語りました。

困難に直面し、何をすべきか考えあぐねていたとき、人生初のお給料で参加したCWAJ70 周年記念晩餐会で、また絶妙なタイミングでCWAJ の方々と再会しました。会員の皆様と話し、新奨学生のスピーチを聞いているうちに、自分らしく行動する決心がつきました。勤めていた会社と数か月の間話し合い、会社を辞めることにしました。
この経験を経て、私はCWAJ が単に奨学金を提供して下さるだけの組織ではないことに気づきました。CWAJ の方々との出会いを通して、またその奨学生になったことで、私の人生は変わりました。彼らがいなければ、今の私はありません。

3. 奨学金を得てから変わったことはありますか。

私の目標は前の質問で述べたとおりで、基本的には変わっていません。ロールモデルになるため、今はスピーチや、SNS への投稿で自分の体験を伝えています。障がい者が社会で平等に働けることを証明するためには、適切なサポートを受けながら、まずは健常者と一緒に社会で働く必要があります。今の会社では素晴らしい同僚や上司に囲まれ、楽しく働いています。

CWAJ 奨学生となってメンバーの方々にお会いする度に、彼らが私の障がいではなく、常に私という人間に目を向けてくれていることを感じました。そのような姿勢は私にもう一つの目標を与えてくれました。それは、社会の人々に、障がいがその人を定義するものではないということを理解してもらうことです。初めて会う人の多くは、私の障がいに気を取られすぎて、私の第一印象は「視覚障害者」や「障がい者」になってしまうことがよくあります。私はいつも、趣味や勉強、これまでの経験など、障がい以外のことを伝えようとするのですが、話す機会を与えられないこともあります。障がい者は弱くてかわいそうというイメージが強いのでしょう。奨学生になってからは、スピーチやSNS への投稿を通じて、私が何であるかではなく、私という人間を伝えようとしています。私の影響力はとても限られていますが、Facebook では1300 人の友人が私の投稿を読んでくれれば、何らかの形で有意義なものになると信じています。

4.若い頃の自分に言いたいことがあればなにですか。

「自信を持って」。幼い頃も今も、あまり自分に自信がありません。歩んでいる道が正しいのか、いつも不安になります。私はまだ若く経験も浅いですが、人生に無意味なことは何もないと信じています。幼少期を振り返ると、視覚障害者として普通学校で勉強することはとても難しいことでした。先生や同級生に自分を理解してもらうことが難しく、学校に行けないこともありました。しかしその頃の同級生の一人は、今では私の人生で最も大切な友人で、すべてを理解してくれています。大学では障がいのある学生への支援制度がなかったため、当初は必修科目を履修することすらできませんでしたが、長い時間をかけて大学の職員や教授と交渉し、支援制度を作り、8 年後に卒業することができました。社会人になってからは、社会の厳しい現実に直面しましたが、辛い経験を経て、障害者・健常者という線引きをせず受け
入れてくれる場所を見つけることができました。ですから自分に、「自信を持って」と言いたいです。困難に直面しても、自分を信じれば、必ず道は開けるからです。

5.現在の目標は。

勉強以外の目標について今まで考えたことがありませんでした。しかし今、これからの目標を選ぶとしたら、「普通の生活を送る」ことです。障がいを持つ人にとって、普通の生活は困難です。前の会社での経験のように、障がい者が平等に扱われることは稀です。しかしせっかく平等に扱ってくれる職場に出会ったのだから、同世代の人たちと同じように、普通に生きたいと思います。普通に生きることが、これからの障がい者たちにとっても、一番のロールモデルになると思います。

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