久野明子CWAJ会員 2026年日米協会金子堅太郎賞受賞

CWAJ(カレッジ・ウィメンズ・アソシエーション・オブ・ジャパン)の長年の会員久野明子さんは、この度一般社団法人日米協会より第6回金子堅太郎賞を受賞しました。久野さんは1969年に協会に入会し現在に至るまでの57年間、専務理事や副会長の要職を務めながら、日米両国の相互理解を深め促進するために文化・教育面で様々なプログラムを企画、運営してきました。その功績を認められての受賞です。

自宅にて、久野明子さん©︎CWAJ

日米協会は、第一次世界大戦後アジアを巡って日米両国間に緊張感が漂っていた時、1917年に東京在住の日米両国の要人たちによって、両国の関係改善のためにお互いをよりよく理解するために設立されました。初代会長として金子堅太郎が選出されました。金子堅太郎(1853~1942)は、明治時代を代表する政治家で、ハーバード大学を卒業し、元米国大統領セオドア・ルーズベルトの友人であったため、日露戦争(1905~06)の時、ルーズベルトに講和への調停役を依頼し、ロシアとの講和条約締結に重要な役割を果たしています。

久野さんは慶応義塾大学に在学中の1961年、慶応・スタンフォード交換留学プログラムに参加し渡米、その後ミシガン大学のEnglish Language Instituteで修了証を取得して帰国。

卒業後は、1964年に開催された東京オリンピックの組織委員会に勤務したり、国際会議の企画・運営に携わったりしました。結婚後、夫の仕事の転勤でフランスにも滞在しました。

日本に帰国後、1978年にCWAJに入会し、当時、設立されたばかりの視覚障害者支援の活動に携わったり、当時は毎年開催されていたLecture Seriesの委員として活動したり、現代版画展の委員長にも就任、1985年には会長に選出されています。

自宅にて、久野明子さん©︎CWAJ

久野さんは、CWAJで出会った1969年の会長のNanette Meechとの出会いが、彼女の運命を変えたといいます。Meechさんの「日本で最初にアメリカの大学を卒業した女性は誰かしら」という質問に触発されて、久野さんの曾祖母に当たる日本最初の女子留学生の大山捨松について調べ始めました。当時の日本には、捨松が10年間学んだアメリカでの留学生活についての資料は何もありませんでした。久野さんは、アメリカで捨松の学んだVassar Collegeを訪ねたり、10年間一緒に生活したホスト・ファミリーの子孫に会いに行ったり、捨松の手紙を発見したりして、捨松の生涯を辿った一冊の本、『鹿鳴館の貴婦人大山捨松‐日本初の女子留学生』を出版することができたそうです。お世話になったアメリカの友人達も読めるようにと、英語版 ”Unexpected Destinations: The Poignant Story of Japan’s First Vassar Graduate”も出版されました。

今年の春から始まったNHKの朝の連続ドラマ 『風、薫る』に捨松が登場しました。明治時代には、看護婦の仕事は賤しい仕事と軽蔑されていたそうですが、捨松は女性が自立するためにも看護婦という仕事は向いていると奨励し、看護婦養成所を創るための資金集めの活動も行ったそうです。

金子堅太郎と大山捨松とは偶然にも1871年(明治4)に日本の近代化のために欧米諸国に派遣された岩倉使節団の留学生として、同じ船に乗ってアメリカに留学していました。久野さんは、今回の金子堅太郎賞の受賞者に選ばれたことについて、金子堅太郎と自分が目に見えない赤い糸に繋がれているのではと、運命的なものを感じると話してくれました。

(取材:岩田香、土井恵美子)

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